« ブログをはじめます。 | トップページ | 枕山の誕生とその家族 »

2012年10月21日 (日)

枕山の肖像画

我が家に伝わった肖像画です。

Chinzan_1 

明治も24年になって亡くなった枕山ですが写真はありません。最後まで丁髷姿を通した人故写真は無縁であったと思われます。

 肖像画が残されておりその面影を偲ぶことが出来るのは幸いです。

 

『枕山詩鈔 三編 巻之下』丙寅(慶応2年 1866)に

「琴抱道人倩鵞湖寫余真以乞題詩賦此書其上頭」と題し

 “倩工為我寫衰顔。對此思量事幾般。詩自宋元窺以上。心於夷惠要其間。也知形状非隆貴。自判生涯是散閒。好準白家當日例。併將全集置廬山。”

と有り、鵞湖(鈴木鵞湖1816-1870)の描いた枕山の肖像画が有った事が分かります。慶応2年は枕山49才です。(今、鵞湖の手に成る肖像画は未見)

この鵞湖の描いた肖像画を門弟の中島杉陰が模したものが残されています。

 明治13年3月15日付け枕山から門弟嵩古香宛の書簡に・・・肖像之儀、一昨日之御返事ニ漏し候ニ付、附録奉差上候。先頃<旧蠟中>薬王寺<断常師>の者出来、遣し候。是、七律を題し候也。此度者別々の事、七律を可題候。畫料、杉陰者一圓半を請候間、右之カタニ而可然候也。餘者後期、委細可奉申上候。・・・

 とあり、この頃杉陰の手で肖像画がいくつか描かれており、門弟嵩古香の元にあったものが後に“東京大学史料編纂所”に納められていて、冨山房版の「下谷叢話」が出版された折この肖像画が掲載されたのでした。

 

 コピー機のない時代、模写ですから一枚一枚どこか違っているでしょう。

 ここに載せた枕山像は我が家にあるもので、三浦雪堂画師の再模写で枕山の孫のひさは認めていた枕山像なのですが・・・

 「文武高名録」(明治廿六年九月出版)に所載の枕山像はあごは二重で目鼻の大きい丸顔です。この像に孫のひさはよく似ていました。

|

« ブログをはじめます。 | トップページ | 枕山の誕生とその家族 »

文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。初めまして。
私は愛知県立大学で日英関係史の研究しています。その中で主に中井弘という人物の研究していますが、ご存知の様に中井弘は大沼枕山との関係があり、中井さんが書いた旅日記「西洋紀行航海新説」に大沼枕山先生のコメントがたくさんあります。そのため、もう少し枕山先生のことを調べたいと思いました。中井弘との関係について何かの手掛かりありますか?或いは、大沼枕山先生の西洋、特にイギリスに対する意識はどのようなものだったのかご存知ですか。
どうぞ宜しくお願いします。
エレノアより

投稿: エレノア・ロビンソン | 2013年6月 4日 (火) 23時10分

 川崎市多摩区にある稲田郷土史会会員です。今度、会誌に「窪全亮と稲田との関わり」を発表するつもりですが、全亮は稲城市にいて塾を開いた人で、枕山門下でした。ついては、当ウェブ上の肖像画を会誌掲載文に使用できればと存じますが、許可を頂けますでしょうか。

投稿: 山村 | 2016年7月 4日 (月) 08時00分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/572870/55940466

この記事へのトラックバック一覧です: 枕山の肖像画:

« ブログをはじめます。 | トップページ | 枕山の誕生とその家族 »