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2012年10月25日 (木)

枕山の死

〇10月1日

 枕山は明治24年(1891)101日病死し、74才でした。

 大沼の家は明石の人、西川善次郎を迎えてかねが継ぎました。

 娘のひさ(枕山孫)は7才でしたがその記に“せまい横丁は馬車でいっぱいで、中には馬に乗って来られた方もあった。会葬者はシルクハットという正装で枕山の教えを受けた人々が門前にあふれた。立派な人達だと思った。大沼枕山の死去は華やかだった”

とあります。

 我が家にそのときの「報知簿」が残されています。

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「報知簿」には90名の知人門人の方々が記されていますが、なかに“勝 安房”と勝海舟の名があります。信夫恕軒の『大沼枕山傳』に「先生勝海舟ヲ訪ヒ 大イニ時事ヲ論ジ 慷慨激昂 忌憚スル所莫シ」とあります。心が通じ合うところがあったのでしょう。ところで、海舟は維新後は”安芳”と改名していた筈ですから、”安房”と書かれているのは面白く感じます。死ぬまで丁髷姿だった枕山には、海舟は“安房”だったのでしょう。

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 墓は門人達によって谷中の瑞輪寺に建てられ、高さ1メートル50センチの安山岩の表面を平らに加工し、「枕山大沼先生之墓」と隷書体で陰刻されています。文字は門人の隷書家で名高かった中根半嶺(1831~1914)の書だと思います。

 この墓は平成5年(1993)3月、台東区区民文化財・台東区史跡として登載されています。

 

〇枕山翁の易簀

 明治廿四年十月二十日發兌 「早稲田文學」第壹號 牛込早稲田 東京専門學校

に「枕山翁の易簀 ・・・枕山翁もまた逝きぬ本月の國會によりて翁が小傳を左にかかぐ」として枕山の略歴が記されています。  注 易簀=病床のすのこを取りかえる。学徳の高い人の死ぬことを敬っていう語(曽子の故事から)

 「早稲田文学」第一号 に枕山の死が報じられたのでした。

 

〇「枕山先生遺稿集」

枕山の3回忌を迎えた明治26年(1893)の12月、枕山の高弟杉浦梅譚の序を得て「枕山先生遺稿 全」一巻が発刊されました。

梅はほっとした事と思います。この大晦日の夜、たおれて帰らぬ人となりました。

明治27年(1894)正月元旦卒です。

 享年62才、“仙遊院玅香日快大姉”となり枕山と共に瑞輪寺に眠っています。

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