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2012年10月24日 (水)

枕山の誕生とその家族

〇3月19日

 3月19日は枕山の誕生日です。1818年この年4月22日に文化から文政へと改元されたので、文化15年生まれとする記述もありますが大方は文政元年生まれとしています。

 大沼家には枕山の臍の緒が残されて居り、包み紙に、“大沼捨吉 文政寅年三月十九日暁六時 生髪臍緒”と墨書されています。

  

〇枕山の父

 枕山の父は大沼次右衛門。幕府の小吏で竹渓と号し漢詩人として知られた人でした。松崎慊堂の「慊堂日暦」文政6年8月24日の記述に“大沼竹渓 治右衛門と称す。与力にして事を致せる者。今は下谷加藤候の南に居る。細井平州の門人。”(東洋文庫)と記されています。

 

〇枕山の母

 枕山の母はその出生、名等伝えられていません。竹渓の死後、宮様士太田一に再縁し文久2年(1862)8月30日に没し、日暮里の禅宗青雲寺の太田家の墓に葬られ、寺の過去帳に“月桂院蘭室智秀大姉”とありますが墓は残されていません。

 

〇妻

弘化4年(1847)枕山30才の時、妻を娶りましたが、この人はもともと病弱であったようで安政2年10月2日の江戸大地震の後患い、安政3年(1856)9月晦日に病没、戒名は“積信院一乗妙道大姉”。貧乏な枕山をささえた賢婦人であったようですが、甲州の井上氏の出ではなかったか?と云うのですがはっきりしていません。

子供はありませんでした。

 

〇後妻

 安政4年(1857)枕山40才の秋、叔父大沼次郎右衛門の世話で太田嘉兵衛(蔵前の札差と伝わる)の養女梅を後添えとしました。天保4年(1833)66日生まれで25才でした。

 梅の実父は鈴木清吉といい、深川椀蔵町(江東区冬木)で金銀細工の御用達をしていた人で、梅は10才くらいの時から父の知人である太田家に引き取られました。

 叔父次郎右衛門は茶技・俳諧を嗜み、太田家と親しく交わっていたので、士族である自分の養女として枕山に娶わせたと云うことです。

 鈴木清吉は中村佛庵(幕府の御用畳屋・書家。天保5年没、84才)の弟子で書を能くしたそうです。

 梅は万延元年(1860)2月、男の子を生み、梅痴上人が錀太郎と名づけて下さったのでしたが、この子は62日亡くなったのです。

 そして翌年、文久元年(1861)1222日、女の子を儲け、嘉年(かね)と名づけられました。

 梅は背のスラットした人でお正月などお引き摺りの姿は見とれるほどだったと、

娘のかねが伝えています。

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